プロモカード
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春と言えば桜
出会いと別れの多いこの時期を鮮やかに演出してくれるピンクの花びら
暖かくなり創作活動に精が出ます
アグレッシブに行きたい所ですがコロナって本当に大丈夫なのかな
マスクはもうするつもりはないけど
一応持ち歩く予定
ここに祖父母の家があった
一年で一番のビックイベント
田舎暮らしだ
まだ東北新幹線が走っていない頃の話だが上野から寝台列車で八時間はかかったと記憶している。
夜中に乗って朝方盛岡に到着しそれから在来線に乗り変え一時間ほど。
あまりに遠いい旅だった。
当時の二戸駅は北福岡駅という名前だった。冬になると駅舎の中でストーブが炊かれ皆で火に当たり列車を待った。
そこで列車を待つわけだが私の家族、親戚、今思うに列車を待つ皆が静かだった。寒いのもあるがおそらく別れを惜しんでいたからだったと思う。
そんな祖母がリンゴの箱を背負い私達の住む東京に来た事があった。
今では有り得ないかもしれないがそのような光景は珍しくなかった。
持てるだけの物を持って列車に乗り宅急便など使わないのだ。
というよりヤマトや佐川のような宅急便事態がなかったのかもしれない。
そんな祖母と東京観光へ出かけ二子玉川遊園地に行ったのは忘れられない思い出だ。
当時はウルトラマン絶頂期だった為、至るところでヒーロー物のショーが催されていた。
しかし祖母はつまらなかったと思う。
何故なら戦争を経験している人間だから皇居や戦後の復興のシンボル東京タワーに行きたかったはずだ。
大人になった今、当時の心境を色々聞きたいのだがもうこの世にいない。
そんな事もあり数年前にリリースした
「東京過去未来」
外国人がたくさん遊びに来る東京の街をもし祖母が見たら東北訛りで「おっかねぇ」ってきっと言いそうだ。
祖母が岩手に帰る日の事は全く覚えていない。
遊園地で過ごした時間意外思い出せない。
たった1人で上野へ向かい寝台列車に乗り込みどんな想いで東京の夜景を後にしたのだろう。
ちなみに東京駅が東京の玄関になったのはかなり後である。
それまでは上野でした。
東京駅を見ると交通が不便だった頃を思い出してしまいます。
あの当時に東京駅から東北新幹線が走っていれば気軽に祖母に会いに行けたなと。
そんな事を考えながら生まれた
「愛・東京駅」
時が経つのが早すぎる。
東日本大震災から10年以上が経過したけど毎年この日の後に思い出すのは祖母と過ごした優しさに包まれた時間だ。
泣いた。
泣けた。
馬という動物はやはり神聖だ。
神の使いだ。
いったい彼女に何があったのだろうか?
短い映像でこんなに心を揺さぶられてしまったのは初めて。
まるで名作映画を観た後に残る余韻に近いものに襲われしばらく立ち上がれなかった。
今月2曲リリースする事になりました。 「Pandemic」「Pure Love」です。 どちらもコロナ渦の生活の中で生まれた曲です。 コロナ渦の生活が終わっているようで終わっていない何とも言えない状況ではありますが日常生活においてコロナ渦前の生活に戻ったように思います。 どこに行っても人がいますしコロナ対策はどこの施設でももうやっていません。 お店や病院の入り口にある検温器もアルコール消毒液も今ではアンティークな置物です。 ただ気になるのは病院や介護施設の面会です。 自治体によって違うのかもしれませんが面会は認めてあげてください。 やはり第三者が出入りしないと弱い者のほうが不利益被ったりしますから。 こんな事が日常的になっていませんか? ニュースになるのは氷山の一角です。 最後に「コロナは人の感情までをも壊した」と私は思っています。 その想いを込めた新曲を是非聴いてください。 リリース間もなく!
このアルバムとの付き合いはかなり長い。
ベストだからハズレがなくて当たり前なんだけど桜が咲く季節が近くなると無性に聴きたくなる。
優しい歌声だからかもしれませんね。
冬眠してる者を起こしてくれるような。
このアルバムの非売品(見本品)がめちゃくちゃ音質がいいんです。
今のサブスクや再リマスターしたCDと同等かもしれません。
レコード特有の丸みのある音とズドンとくる低音。
先日wowwowで放送されたコンサートも凄く良かったです。
薬師丸ひろ子の歌を知らない人達に是非聴いてもらいたいな。
きっと長い付き合いになりますよ。